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第9回 存在感

子供の頃、御飯の時にはラジオを聴いていました。テレビではありません。

ラジオであった理由はいろいろですしここで書いてもしょうがないのですが、とにかく御飯の時はテレビでなくラジオだったのです。テレビは「茶の間」にあるものであって、茶の間と御飯を食べるところは別の部屋です(田舎の家は広い)。

度々書いてますが、私が育った所は凄い田舎で、私が中学出てしばらくするまでは中波ラジオで日中日本語が聞けるのはNHKだけでした。つまりローカルに民放ラジオがなかったんですね。この辺にもいろいろ話がありますが、今回は省きます。

とにかく御飯の時には「NHKのラジオ」が真ん中にありました。

子供の頃の風景

うちのラジオは主に真空管の大きな奴でした。もう時代はとっくにトランジスタの時代だったのですが、私も親父もラジオは真空管でした。まぁ外に出掛けた時はトランジスタラジオでしたし、「ステレオ」はトランジスタでしたけど。まぁ真空管ラジオが好きだったんです。

ラジオは主に私が粗大ゴミで拾って来たものか、親父がどこかしらからもらって来たものです。

親父の若い頃は「ラジオを作るアルバイト」というのがあってやっていたらしいのですが、そういったものの残骸はありませんでした(近所で捨てられているのを見掛けたことはある)。なお、「ラジオを作るアルバイト」に関しては、ちょっと歴史を調べると出て来ますし、秋葉原電気街の起源はその辺にあったりするようです。

真空管のラジオは結構な存在感があります。我が家のメインだったラジオはこんな奴です。

画像はヤフオクで見つけましたが、まさにこれがありました。サイズのわかるものがないのでわかりにくいですが、つまみのサイズ感から想像して下さい。結構大きいものです。これで聞いてたわけです。

これは親父がもらって来たものですが、私はよく粗大ゴミ捨て場からもっと小さいものを拾って来てました。「短波放送」が入るのが多くて嬉しかったものです。そういったものが多く捨てられる時代で、ラジオはトランジスタになるしそもそもラジオはやめてテレビが家の主役になる時代です。拾って来ては直しして使っているうちに、家のどの部屋にもラジオがあるようになり、直せなかったものが部品となってアンプ作ったり。その辺のことが今につながっているわけです。

ラジオに混信で入るのは韓国語や朝鮮語、たまに中国語。NHKラジオ以外でちゃんと聞こえる日本語のラジオと言えば、北京放送モスクワ放送、そしてFEBC。毛沢東や周恩来が死んだ時の北京放送とか興味深く聞いてました。同じことばかり言ってるんですけど。FEBCは後年スタッフにいろいろ関わりが出来るとか思ってもなかった... まぁ日本語のNHK以外の放送は夜しか聞けないのです。

その前の時代

その当時でもうちの家はちょっと特殊な部類でした。と言うのも、既にたいていの家では御飯の時にテレビを視たりしていましたから。その頃の教育書とかには「御飯の時にテレビを見るのやめましょう」みたいなことがあったように思います。もっとも、うちの親としては教育的な意味と言うよりは、家族の会話にテレビが邪魔だったとゆーことがあったのではないかと。

でも、その前の時代はやっぱり家の娯楽の中心にはラジオがありました。その頃にも前の時代の名残りとして「ラジオドラマ」なんてものが結構ありました。夜になると遠方の民放ラジオから聞こえたので、必死に聞こうとして... もう主観的昔話はいいってのw まぁそんな時代があったわけです。

戦後すぐ〜当時のラジオや無線の雑誌(コレクションで持ってます)には、そういった時代を反映した記事があって、今読めば「一家だんらんの中心にラジオ」だったのだなということがわかります。

そういった時代の「ラジオ」は前掲のような、結構大き目のものです。真空管なので技術的にそれ程小さくするのが容易でないという事情もあったでしょうが(と言っても私が拾って来てた多くの真空管ラジオはもっと小さいです)、それ以上に「家の中のでーんと存在する」ということが大事だったのだろうと思います。高価なものだったらしいので、その値段に見合った存在感が欲しかったということもあるでしょう。また、当時の技術では図体がデカい方が音質も良くしやすかったようですし。

まぁそんなわけで、一般の御家庭でも大きく立派なラヂオがあったわけです。

ミシン

先日、mayumiがミシンが欲しくて探しているようなことを言ってました。

手軽でコンパクトなミシンなら近所の「ユザワヤ」にでも行けばあるのですが、値段とか用途とか考えたら「工業用のミシンを中古で」というのも選択肢に入ります。工業用のミシンならしっかりしていますし、ジーンズなんかも縫えますね。どうせ今時のミシンが得意とする「自動で刺繍」なんてものって、普段使いませんよね。まぁG codeで操作できるのがあったら楽しいかも知れませんが。

そんなわけで、ヤフオクとか見てたみたいです。

そうしたら、古いシンガーのミシンを見つけました。

こんな奴です。そう言えば小学校の時の家庭科の教科書にはこんなミシンが出てました。家庭科の教科書に出ているくらいですから、一般的だったのでしょう。シンガーに限らずJUKIでも、こんな感じのミシンを出していたようです。今思うとかわいいフォルムですよね。当時はこれ見ると古臭いとか思ったりしましたけど。

うちにあったのはJUKIだったかなぁ。やはり足踏みミシンです。母親の嫁入り道具だったように思います。もう少しカクカクしたデザインです。こっちの方が現代的なデザインな気がしたものです。

いずれにしても、古い時代のミシンは足踏みで、台も含めると結構な存在感があるものでした。今だと、アタッシュケースくらいのサイズになっちゃってますけど。

昔のデザイン

昔のこういった「機械」は主に技術的な理由で結構な図体でした。他にも「今は小さくなったけど昔は結構な存在感のあったもの」は結構ありますね。

そして、こういった技術的な理由で小型化が難しいものは、なぜだかいろんな装飾がされています。「いかにも」なゴシック調の装飾だけではなく、よりライトな「おしゃれだけどゴテゴテしてない」みたいなのとか。うちにあったラジオとか、前掲のミシンとかはそんな感じですね。ラヂオとなると、もっとゴシック調なものも出て来ますけど。そう言えば、古いテレビとかステレオとかも、結構装飾された感じのものがありましたね。仏壇みたいなテレビとか、結構ありましたね。

小型化出来ないということと関係なく、意匠の凝ったものとして、イギリス式コンパスもあります。

烏口のついたイギリス式コンパス、Amazonにありました

 

今売ってるかどうかは知らないのですが、こんな感じのコンパスを見たことありませんか? 今流通しているほとんどのコンパスはドイツ式のすっきりしたデザインなのですが、イギリス式はこんなにかわいいです。なんでこんな形になっているのか、理由は私は知りません。

こうして見ると、「昔のもの」って結構凝ったデザインのものがありますね。

現代のデザイン

今時はこういった凝ったデザインは流行りません。そもそも、たいていのものは図体が小さくなりました。

ラジオなんてカードサイズになってますし、それすら邪魔ということで組み込まれてしまったりします。いや、何なら存在そのものが否定されています。ラジオ聞くこと少なくありませんか?

ミシンも小さくなりました。家庭用であれば、手で運ぶのも簡単です。その代わりデザインは簡単に言えば「箱」です。機構的にアームが必要なために単純な箱ではありませんが、それでも箱の延長のデザインです。

コンパスの主流はドイツ式です(普通に見掛ける奴はみんなそう)。まぁそもそもコンパス自体をあまり使いませんね。製図はCADだし。ケガキで使う程度でしょうか。弊社だとCNCで加工ですから、それすらしません。

今時のデザインって、だいたいミニマム的というか、あっさりしたものが多いように思います。昔の仏壇みたいなテレビとか、揶揄の対象になることはあっても「素敵なもの」という文脈で語られたのを見たことがありません。現代の主流のデザインって、だいたい悪い意味でAppleに毒されたような、ミニマムデザインという感じになっています。

もちろんこれにはいろんな理由があると思います。

技術的に小さくできるものを大きくしておく必要性はあまりありません。都会で生活していれば、デカいものよりはコンパクトにまとめられた方が嬉しいことが多いです。狭い部屋を綺麗ですっきりさせたい、なるべく邪魔になるものは置きたくない。技術的にそれが可能になった結果、デザインもそっち方向に流れる。何も不思議ではありませんね。

特に場所を取らないものでも、ゴシック調と言うかゴテゴテした感じのデザインは嫌われがちです。大き目のものがそれぞれ個性を主張するデザインだと、部屋の景色の統一性が取れませんね。

量産の都合というものもあると思います。アームが曲線を持ったミシンは、あまり量産向きという感じではありませんね。曲線がちのデザインはひっかかりが少なくて良いと思うのですが、多少の利便性よりは量産向きの方が良いのかすっきりしたデザインが良いのか、ああいった曲線のミシンはなくなりました。

結局のところ、

  • 場所取らない(小さい)
  • すっきりした(ミニマム感のある)
  • 何なら存在すらしない(他のものに包含させてしまう)

ようなデザインが主流だということになりますね。

存在感のあるデザインは不要ですか?

私自身、小さくてすっきりしたデザインのものは嫌いではありません。と言うか好きな方です。たとえば、私の持っている車はこれ。

スバルインプレッサWRX

DOHC 2000cc ターボなんてデカいエンジンでありながら、2まわりくらい小さい車体(1400ccくらいと同じ車体)でガンガン走ります。リミッタのある時代のものなので、最高速は180km/hですけど。もう30年近く前に買ったものですけど、まだ現役。小さくてすっきりしたデザインでありながら、またバブリーな図体のデカい車が流行りの時代だったのに逆らった感じです。高性能でコンパクトなところがお気に入りです。多分もう10年は乗るんじゃないかと思います。

とは言え、自宅のラジオはこれ

ナショナル真空管ラジオ RE-860

存在感しっかりあります。真空管のラジオです。ラジオセンターのフリマスペースみたいな棚の並んでるところで買って来ました。

結局のところ、実用品と言うか機能を重視したものは「コンパクトにしてミニマム」を指向するのですが、実用性よりも趣味と言うか「なくても別に困らないもの」に関しては、「せっかく所有するのだから存在感があった方が嬉しい」とか思ってしまうようです。多分同じような心理になる人は少なくないんじゃないかと思います。私は「真空管ラジオ」に骨董的な価値は見い出してないんですが、実用性そのものよりも「余裕」みたいなものを求めたくなるようです。存在感が欲しくて真空管ラジオが欲しくなるのです。

現在のデザインでそれがあるのって、私に身近なところで言えば「ゲーミングPC」くらいじゃないかなと思います。別にパソコンが七色に光ることに実用的な意味はないですが、存在を主張してますね。多分あれは「小さくできない(したくない?)」という事情があって、だったら存在感を出してやろうという感じなんじゃないかなと思います。雑に言えば、「コンパクトにしてミニマム」に出来ないものは開き直って存在感を主張してしまうみたいな。

それ以外のものって、だいたい「コンパクトにしてミニマム」なものばかりなような気がします。ほとんどの場合それでいいんですけど、「所有している幸せ」とか「余裕の中で扱う実用品」みたいな位置づけがしたいものであっても、「コンパクトにしてミニマム」なものしか選択肢がないというのは、ちょっと残念な気がします。もっと雑な表現で言えば、

余暇で家でラジオ聞く時は
もっと存在感のあるデカいラジオでもいいんじゃないの?

と思います。

もう少していねいに言えば、何から何まで「コンパクトにしてミニマム」な方向を求めなくてもいいんじゃないのかなと思います。

この話はもうちょっと方向を変えて次回に続きを書くと思います。

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