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プロジェクト一反もめん

自動運転電動車椅子&カート

前に「プロジェクト 目玉親父」という話を書きました。

その時に、「自動運転電動車椅子」ということをチラと書いています。

自動運転電動車椅子も電子盲導犬も、9割くらいは同じ技術基盤の上にあります。それは、いずれも「歩行者」を拡張するためのものだというと、共に制御技術としては「自動運転」の延長上にあるということです。

電子盲導犬は移動する人をアシストするものですが、見方を変えると「人間を自動運転するもの」とも言えます。動くのは人間ですが、それをコントロールするのは機械です。

「電動車椅子」は法的には歩行者です。これを自動運転するというのは、電子盲導犬と技術的にはだいたい同じです。

実は「電動車椅子がパーソナルモビリティにならんかな」ということは随分前から思っていることです。

多くの人が誤解してると思うんですが、「車椅子」って結構便利なんですよ。

新入社員がイスでコロコロしだす瞬間をたしかめた
画像は「新入社員がイスでコロコロしだす瞬間をたしかめた」より

これがちゃんとできる椅子ですからね。

もちろんそのためには条件があって、通る場所のクリアランスがある程度あるとか、通り道に凸凹が少ないとか、そういったことがあるのですが、場所を選べば便利なものであることは事実です。展示会の類とか、1日歩き回ると足痛くなりませんか? 車椅子があればそれも解消です。

そして、それが「電動」となるとさらに便利だということは想像に難くないと思います。パンフレットやノベルティを置く場所もありますしね。

とは言え、これを健常者(障害者に対する言葉です)が乗り物として使っていると世間の目は冷たいです。実は学生時代に「車椅子用の街のガイドブック」というのを作る活動に参加していて、その調査のためにいろんなところを車椅子で移動したのですが、他の人と交代する時に立ったら「なんだこいつ歩けるじゃん」みたいな世間の目が厳しかったですね。別にその人に迷惑かけたり世話になったりしたわけでもないんですけど... ここでは例によってその辺のことについて掘り下げることはしませんが、健常者が「便利だから使う」ということに世間は否定的です。

ところが、最近ちょっとだけそれが変わって来ました。それは「特定小型原動機付自転車」というものの存在です。これはしばしば「電動キックボード」として語られますが、それに限りません。「特定小型原動機付自転車」というのは「パーソナルモビリティ」の法的な立ち位置が出来たということです。

既に「シニアカー」というパーソナルモビリティが存在しています。高齢者が電動カートみたいなのに乗ってるのを見たことありませんか?

こんな奴です。これは法的には電動車椅子と同じ、つまり「歩行者」なんです。ちなみに、スズキはシニアカーを電動車椅子と呼んでいるようです。ついでに言えば、スズキは電動車椅子では結構な老舗です私の学生時代にも既にありました

「電動車椅子」だと「それは障害者のものだろう」と言う人でも、シニアカースタイルならちょっと使いたいとか思いませんか? 残念なことにこれは電動車椅子扱いなので最高時速6kmに制限されていて、健常者の「乗り物」として使うのは物足りないですけど。そして、この速度だと、やっぱり障害者の乗り物と感じますね。一緒にいても乗り物と言うより歩行者ですからね。

ところがここに「特定小型電動機付自転車」なるものが登場しました。要件を比較してみましょう。

  電動車椅子 特定小型原動機付自転車
最高速度 6km/h以下 20km/h以下
定格出力 規定なし 0.6kW以下
長さ 120cm以下 190cm以下
70cm以下 60cm以下
高さ 120cm以下 規定なし

サイズについての規定はだいたい同じですね。ちなみに、特定小型原動機付自転車は「歩行者モード」があって、「歩行者モード」であることを表示していて最高時速を6kmとしていれば歩行者扱いとなります。つまり、特定小型原動機付自転車は、電動車椅子を包含するものだと思って良いようです。

今は特定小型原動機付自転車は「電動キックボード」としての側面ばかり語られますが、遠からず「シニアカー」にもそういった規格のものが出て来ると思います。時速20km出せるとなると、高齢者や障害者のみならず、健常者の乗り物としても見劣りしません。今の「ママチャリ」の領域を占める未来も見えるように感じます。サイズも「三輪ママチャリ」と似たようなものですし。

適切に「電動カート」のモードと「電動車椅子」のモードが使える車体があれば、「スーパーに電動カートモードで出掛けて、そのまま電動車椅子モードになって買い物をする」みたいなことも可能になるでしょう。そうなれば、郊外の大き目のスーパーにありがちのゴチャゴチャした駐輪場の問題も解消するかも知れません。

問題点

シニアカーや電動車椅子の延長で特定原動機付自転車規格のパーソナルモビリティを考える時には、いくつかの問題点があります。

道の問題

電動キックボードはいろんな問題点が指摘されています。それは「キックボード」という形式であるがゆえのものもあれば、「小さくてトロい乗り物が車道を走っている」ことに起因すること、また逆に「結構速度の出る乗り物が歩道を走っている」ことに起因することもあると思います。

ただ、これらの問題の何割かは「東京の無理やり歩道を作ったそれほど広くない道」のせいであるようにも感じます。

うちの近所の道(たとえば錬成通り)とかまさにそうなんですが、歩道は微妙な広さだし車道も微妙な広さな上に駐車されてたりとかで、電動キックボードはどこを走るんだ? みたいなところが少なくありません。個人的には、そういった場所では「電動キックボード」に限らず、自転車でも車椅子でも邪魔と感じます。車椅子はしょうがないんですが、そもそもこの辺の歩道は車椅子にも向いてないんですよね。車椅子で移動するのは辛いはずです。「おしゃれ舗装」で凸凹してますし、車道から入るところが低くなっているせいで、直進していると下手したら転びます。ちょっと広い歩道だと、余分なもの(看板とか)が置いてあったりして通行困難です。車輪のついた歩行者」にとっては悪いことばかりです。

なので、そもそもそういった場所で運用することは忘れたいと思います。これはハードウェアと言うよりも行政の問題です。と言うか、自転車も含めて規制されればいいのにというのが本音だったり。まぁここでこの辺のことをあまり掘り下げたいとは思いませんけど。

でも、たとえば私の実家あたりだと、こういった道の問題は考えないで済みます。

実家付近のストリートビュー。軽トラがすれ違うのは難しいという程度の道幅
実家付近のストリートビュー。軽トラがすれ違うのは難しいという程度の道幅。でも私が住んでいた頃より広いです

また、そういった田舎であれば、特に運転免許を返納した高齢者にこういった乗り物の需要は高いでしょう。東京でもちょっと郊外に行けば歩道のない道は結構ありますし、この辺でもちょっと裏の道だと歩道がありません。こういったところだと問題は少ないです。

運転の安全性

道の問題はとりあえず忘れるとすると、次に安全に運転できるかどうかが大きな問題となります。

個人的な経験ですが、電動車椅子に轢かれそうになったことは何度かあります。時速6kmに制限されているとは言え、これは人間で言えば結構早足な速度です。これが「乗り物」なのでうまくコントロールできるかと言えば、シーンのことも含めれば難しいと思います。多くの場合、電動車椅子だとステアリングはジョイスティックみたいな機構を使うので、ちょっと速度が出ていると結構怖いです。広い道を走っている分には良いんですが、ちょっと細かいところだと難しいのですよ。興味を感じた人は試しに乗ってみると良いです。最初は「キャー」って声を出すことになると思います。「危ない!」と思って急停止すると前に転びますし、別に急ブレーキをかけるわけでもなくジョイスティックを戻すだけで急停止します。

時速6kmでこれですから、時速20km出していたらどうなるでしょう? もちろん走行シーンは変わるので、そのまま危険が3倍とはならないと思いますが、危険で怖いことに変わりはありません。何らかの対応が必要になります。

という話をすると「元々小型原動機付自転車は30km/hまで出せた」という話になるのですが、これも運転シーンと運転姿勢等が異なりますからね。延長線上では考えられないと思います。

車体の安全性

電動車椅子は重心が高くなります。これは基本的に「椅子」だからです。乗っている人にとっては、目線は高い方が安心できるのですが、そうすると重心が高くなるので転びやすくなります。普通の車椅子で「時速20km」で走ってカーブすれば、多分転ぶでしょう。電動でない車椅子を走って押してカーブすると転びます。昔の電動車椅子は電池が鉛バッテリーだったので結構重心が低かったのですが、今時の電動車椅子はリチウムイオン電池なので、あまり重くありません。その分取り回しが楽になったのはいいんですけど。

これが二輪車であれば、乗っている本人が重心移動すれば良いのでそうそう転ばないのですが、車椅子型の四輪だとそれをしませんから転びます。

車体の安全性という話になると、「車がつっこんで来たらどうするのだ?」という話もあると思いますが、元々歩行者は何のガードもなしに歩いているわけですから、そこはあまり考えてもしょうがないように思います。と言うよりも、自意識として「車両」ではなくて「歩行者」であることをわきまえての行動をすればそれが一番ではないかと思います。それよりも「自爆」しない方向での安全性を考慮することを優先的に考えるべきです。

解決の方向

前節ではシニアカーや電動車椅子の延長上のパーソナリモビリティの問題を挙げてみました。これらの解決について考えてみます。

運転の安全性

運転の安全性ためには「自意識を歩行者にした自動運転技術」が必要なのではないかと思います。つまり、こういったパーソナルモビリティを運用するためには、自動運転技術がほぼ必須なのではないかということです。そしてそれは目玉親父と同じものが必要だということを意味します。

特に高齢者が使うとなると、その必要性の高さはわかると思います。運転免許を返納する程度の人が安全に乗るためには、そうでないと使えないと言っても良いくらいです。

各種センサーを使って危険を察知し、それに応じて回避行動を取る。歩行者であれば当たり前の行動ですね。これを代替してやる必要があります。

いくら急いでいても危険な行動を取らない。これは歩行者に限らず道を移動する者は全て守るべきルールです。たとえば、いくら前の人がトロいからと言って危険な状態での追い越しはしない。それはお互いの安全のためです。

対向者が来たらお互いに道を譲る。当たり前の行動ですね。

道の端に寄り過ぎて道から落ちない。田舎の道あるあるだと思います。車椅子で田んぼにハマったらシャレになりません。簡易舗装の路肩は結構弱かったり穴が開いてたりしますから、その辺も注意が必要ですね。

こういったことは、搭乗者(!= 運転者)がぼーっとしていても、自動的に行われるのが望ましいです。

乗るのが高齢者となると「徘徊」というようなことも考える必要があると思います。であれば、たとえば家族は「どこにいるか」を把握できるシステムがあると嬉しいでしょうし、何なら「映像リンク」とか「音声リンク」とかあると良いかも知れません。あるいは「強制帰投」みたいな機能があっても良いかも知れません。

車体の安全性

この分野は素人なので、「こうだ」とはっきり言えるものは持っていませんが...

まず重心の高さの問題は、「椅子の高さ」を変えられるようにする必要があると考えます。具体的には、「車椅子モード」の時は通常の椅子の高さにして、「カートモード」の時は椅子の高さを下げる。そうすれば、速度の出る時は重心を低めにすることが出来るので、いくらか改善されるはずです。急停止した時に前に転ぶということも減るでしょう。ただ、車体の幅が60cmに制限を受けているので、回転時の安定性の確保をカート(原付四輪)のように幅で何とかするには限界があります。

この「幅」については規制緩和して広いものを許すという方向はあまり嬉しくありません。フットプリントが大きくなって、車道を走れば邪魔になるし、歩道を歩けば通れないという問題が起きるからです。

転ぶという対策でもう一つ考えられるのは、サスペンションです。搭乗者が重心移動しない分、サスペンションで解決してやるということです。サスペンションは乗り心地にも関係して来ますから、多くの(電動)車椅子のようにないに等しいというわけには行かないでしょう。アクティブサスペンションだと嬉しいですが、それは消費電力的には厳しいでしょうね。

ただし、こういった対策よりももっと大事なのは、「安全運転」でしょう。いくら速度が出せるとは言え、カーブで転んでしまうような速度でつっこむようなことはしないに限ります。滑る路面(砂利があったり積雪していたり)とかも困りますからね。この辺は自動運転の方で何とかするなり、加速度を計測して制御するなりして無理な運転をさせないというのが一番良い対策だろうと思います。

期待される効果

こういった乗り物が普及すると、以下のようなことが期待できるでしょう。

これらはいずれも、要するにパーソナルモビリティの「夢」の部分として語られたことだろうと思います。車椅子型つまり四輪にしてそれに自動運転とネットワークがつけば、「夢」だったものが現実になりそうです。そして、それは「遠い夢」ではなくて目玉親父同様、

やるかどうか

というレベルの「夢」だと言えます。

移動の自由の獲得

言うまでもないことですが、利用者は自由に移動できます。地方では公共交通機関がショボいために、高齢になっても運転免許証の返納が困難です。ないと生活に困ってしまうのですね。お陰で80過ぎた私の母はまだ運転免許持ってます。まぁ次は返納すると言ってますけど。返納はいいんだけど、足どうする気だろう...

そこでこのような乗り物があれば、無理に運転免許証を持たなくても移動ができるようになります。都会に生活している人にはピンと来ないかも知れませんが、田舎だとこういったものの有無は生死に関わることなのです。私の実家は最寄りのコンビニまで1km以上ありますからね。まぁ、田舎なのでコンビニがあるだけマシとも言えますけど。

今、私の母が免許返納してしまったら前述のシニアカーという選択しかありません。「時速6km」でコンビニに行く気になるのでしょうか?

公共交通機関への要求の低減

地方では公共交通機関がショボいとは言え、インフラとして重要なものであることには変わりはありません。最初から運転免許証を持たない人や返納してしまった人は、結局公共交通機関に頼るしかありません。ところが、利用者の絶対数が少ないため、多くの地方路線は赤字であり、自治体等からの補助金で運用されているところが少なくありません。それでもどんどん路線廃止されています。

このような乗り物がインフラとして用意できるのであれば、赤字路線を廃止しても公共サービスとしての後退にならずに済むだろうと思います。

また、うちの田舎あたりだと「高齢者が病院に通うために救急車を呼ぶ」という問題があったりします(田舎あるあるです)。それがなくなるのは良いことでしょう。

今はどうなっているか知りませんが、私の通っていた(公立)中学校は一番遠い人は片道20kmくらいありました。平成の市町村合併の前の大田市の海岸線全部と東の市境線全部です。冗談みたいに広いです。自転車で通うのは無理ですね。距離だけじゃなくて高低差も随分ありますから。友達の家に遊びに行くだけで大冒険でした。

母校の校区(Gaccomより)

地区の中心部から通学バスが学校までありました。そうなると、部活でちょっと遅くなったりすると大変でした。今の法律ではどうしようもないですが、こういった地域の子供の通学の足になったら嬉しいなとも思います。多分、日本にはもっと厳しい土地もあるんじゃないかなとも思います。

移動に対する意識が変わる

これは逆に都市生活の人が感じることでしょうが、たとえば徒歩や公共交通機関で買い物に出掛けると、荷物運びが結構厄介です。と言うか、すぐに限界が来てしまいます。このような場合、自動車を持っている人は「買い物は自動車で」という運用ができますが、そうでない人は「配送してもらう」ということが必要になります。でも、高々牛乳パック数本で配送してもらうのも大袈裟です(でも抱えて電車に乗るの厳しいですね)し、配送料払うくらいだったら最初から通販してしまえば良いですし、生鮮とかになるとそれも厳しいということで、なかなかに難しいことになります。つまり、ちょっとした買い物であっても、結構ハードルが上がってしまうこともあるということです。

自前である程度(そんなに大量である必要もない)の荷物が持てるとなると、この辺の意識は随分と変わるのではないかと思います。

また、こういった「歩行者」が増えると、こういったものに対して便利な街や施設が要求されるようになるでしょう。前述の「無理やり歩道を作った看板とかが置いてある微妙な広さの道」が改善されれば、多くの人にとって良いことだと思います。「マイノリティーの声」として無視されて来たものがマイノリティーではなくなるわけですから。

提案するシステム

前節までの話を踏まえて、システムを考察してみます。ただし、車体そのものについてはここではあまり考えません。あくまでも制御から上のレイヤについてです。

システム的には、目玉親父 + インフラという感じです。

車体側システム

これは基本的には目玉親父と同じです。

各種センサをつけて情報処理を行い、危険回避や交通ルール等の遵守を行います。たとえば、歩道で歩行者が近付いて来たら速度を落としたり離隔を取るなりする。対向者(車)が来たら避ける。信号機の指示を検出して必要なら停止する。そういったことです。

また、「どこそこに行きたい」というような指令を音声で受けて、その指示に従って自動運転する。わからなければ問い返すなりクラウドで調べるなりする。「○○さんの家」みたいなパーソナライズされた要求は、メモリーカード的なものを刺して... とかすると、いろいろ嬉しかったりしますね。

こうして見ると「目玉親父」と異なるのは、アクチュエータにあたる部分だけですね。どちらも自意識(?)としては「歩行者」なので、自分の身を護ることを第一にしつつミッションを果す。そういったことです。

運用システム

このシステムは「公共交通機関」のようなインフラとして整備されると、より良いサービスになると考えています。ですから、車体はレンタル的なものになります。と言うか、普段は「ステーション」にいて、要請があれば来るという感じですかね。そうなると、タクシーが近いのかも知れません。

利用者が呼び出すと、最寄りのステーションから車体がやって来ます。利用者が目的地に着いたら、電動車椅子モードになるか、離れるかします。離れている時間が長いことがわかれば、最寄りのステーションに帰って充電するなり他の人の要請に応えるかなりする。利用者が帰りにも使いたいと思えば、また呼び出す。

車体の位置についてはGPS等で計測してサービサー側で把握し、変な乗り捨てられ方をしていれば何か手を打つ。おかしな場所に行く様子があれば、搭乗者によっては家族に連絡をする。必要なら強制的に帰らせる。

パーソナルモビリティの先進地の事例で、しばしば「電動キックボードの乗り捨て運用が原因で破綻」みたいなのがあります。電動キックボードを乗り捨て運用すると、人間が回収して回る必要があって、人件費とのバランスのせいで破綻するという話です。ここではパーソナルモビリティではありますが「四輪」なので、自走ができます。自分で勝手に、あるいは遠隔操作でステーションに戻るようになれば、回収にかかる人手は少なくて済むはずです。この場合は法的にはおそらく「遠隔操作型小型車」という位置付けとなるのではないかと思います。


まずは目玉親父を頑張っておいて、来年の今頃に適当な車体(多分普通の電動車椅子)をワークベンチとして開発に着手するという感じになるのではないかなと思ってます。その前くらいには、何らかのリリースをすると思います(伏線)。

最後になったのですが、「一反もめん」という名前は鬼太郎の移動手段の一つだからです。「目玉親父」は鬼太郎のセコンドでしたよね。

蛇足

目玉親父や「一反もめん」みたいなものを提案していると、何か福祉機器を作ろうとしているように受け取られがちです。ですが、別に福祉機器を作ろうとしてるわけではありません

今は「バリアフリー」で語られることが、私の学生時代には「ノーマライゼーション」として語られていました。これは何かと言えば、「(広義の)障害者にとって不便なものは健常者にとっても不便なもの。障害者にとって便利なものは健常者にとっても便利なもの」という観点で「みんな便利にして行こう」という発想です。受ける恩恵の大小は異なっても、みんなが受益者になりうる。そういった思想です。

目玉親父で書いたように、こういった機器が小型廉価になれば、晴眼者にとっても便利なものになりうるでしょう。星新一のショートショートの中にある「肩の上の秘書」となり得るのです。

そこまででなくても、「ポータブルアレクサ」と思っても良いでしょう。

同じものが失明者にとっても晴眼者にとっても便利なものになってくれる。つまり福祉機器ではないのです。まぁ、そもそもの発想が「J.A.V.I.S」や「F.R.I.D.A.Y」ですからね。

同じように、「一反もめん」も単に自動で動いてくれる便利な椅子です。使う人の障害がなくてもいい。冒頭の絵のような図は、別に彼/彼女が足に障害があるわけじゃない。また、そういったもので「ちょっと買い物」に行けば荷物を重い思いをして帰る必要もなくて便利です。つまり福祉機器ではないのです。

これらのものは、単に障害があると必要性が高くなるというだけなのです。「市場」として考えた時には、障害の有無と関係がない方が大きいですし、そうなれば参入も増えるでしょうし、そうなればより廉価で高度なものが開発される。みんなが幸せになれるというわけです。

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